鬼ノ城に向かう前に、ぜひとも寄らねばならぬ城跡があります。
羽柴秀吉の水攻めで有名な備中高松城でございます。
まだ観てないですが…映画「のぼうの城」の冒頭に出てくる城ですね。
国道から右折し少し入ったところに目印発見。
足軽が目印なのか、珍しい。
立体物は良いね。
その看板付近から見渡す平野。
あれ…
どこに…… 城跡が…あるのか。
秀吉の時代位だと、山城だったり小高い丘の上にあったりしそうだけど平城なのか?
ちょっと古い時代だと山の上に作るのが楽で防御力も高いですから…
しばらく付近を走り回り発見しました本丸跡(多分)
説明の看板などが駐車場にあったので間違いはないでしょう。
地元住民の散歩公園になっていました。
この城以外の場所は秀吉の水攻めによってほとんどが水没してたそうな。
どうやって城を水没させたかというと…
高松城は三方が山に囲まれた平城で、近くに川が流れています。
そこで秀吉は開いている一方側に堤防を作り、水が逃げないようにして
川から水を流し込んだワケですね。
堤防は全長3km高さ7mほどあったそうです…
しかもそれを12日間で作ったそうな。
秀吉の圧倒的なところは尋常ならざる行動力ですねぇ…
乱世を収めた人間はどこか違う……
水攻音頭…… だと!?
楽しんで…… いるのか?(笑
そんな物もありつつ、この城の城主「清水宗治」の首塚もありました。
地味な首塚は結構生々しくてリアルであります。
戦の停戦と引き換えに切腹することになった武将です。
秀吉側が圧倒的に有利だったのに、なぜ停戦したのかといえば、本能寺の変が起こったからですね。
清水宗治側はそれを知らなかったので、城主の首と引き換えに停戦に応じたわけです。
秀吉はここから有名な中国大返しを敢行します。
取って返して明智光秀を討伐し、信長の後継者の地位を確固たるものにしていきます。
しかし、この時の明智光秀の本心が知りたいものです。
水攻めに用いた堤防の一部が残っているということなので
現地に向かい到着しました。
高松城水攻め史跡公園、ここも公園として整備されていました。
多少なりとも過去の雰囲気を味わえるものは大好きですよ。
堤防の一部。
まぁ今となっては多少削れて低くはなっていますが、わかりやすいですね。
こんなものを3kmも作るとは…当時の高さは7mほど。
沼地だったようで堤防が崩れないように地中に杭や木を引いてストッパーなども
作成していたようです、その遺構が再現されています。
タップリと歴史成分を吸収したので次の目的地に向かいますかのぅ。
秋ともなると日が短い、若干薄暗くなってきたぞ……急がねば。
次こそは鬼ヶ島こと鬼ノ城に向かいます。