■第二次四国ツーリング その5 [ツーリング]
■種崎千松公園キャンプ場
昨日の雨は完全に上がっていた。
ココの土壌は水はけが非常に良くて水たまりなどは出来なかったですね。
柔らかいし、寝心地はいいと思います。
ただ、バイクのサイドスタンドはズブズブと沈んでいくので石を置いて沈まないようにするか、バイクは舗装部分に
置くのが賢明なのかと思います。
朝は管理しているおばちゃん達が掃除しているので綺麗ですし、
なにより無料なので使いやすいな。
難点のひとつは、すぐそばに交通量の多い道路があることでしょうかね。
ちがう!もう一つあった!!
すぐそばに墓地があるので、えーと、それ系統の耐性がない人は注意だ!
雨が上がったとはいえ、テントは濡れているので結構雑にたたんで収納~。
どうせもう一回使うし。
実は早朝に西に進んで、カルストまで見に行こうかなぁと思ってたんですが、
若干遠い…ので諦めで東に進路を取りました。
桂浜から海沿いに東に進み、武市半平太旧宅と墓に到着。
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■第二次四国ツーリング その4 [ツーリング]
山内神社から更に西に川沿いを進むと、日根野道場跡と言われる場所です。
写真左は鏡川の河川敷、この辺りからは旧長宗我部家臣の下士の町になります。
龍馬が通っていた日根野道場跡は、あまりはっきりしていないために観光地図には載ってませんでした。
この通り付近だったそうな。
道場跡を通りすぎて右折し、ちょっと町中に入ると、近藤長次郎邸跡があります。
もともと饅頭屋でしたが聡明だったらしいですねい、コレまたもったいない死に方した人です。
龍馬伝でのキャストは大泉洋。
■第二次四国ツーリング その3 [ツーリング]
なんか…等身変じゃない?(笑
ある意味日本人体型なのか……
銅像って下から見上げる用に等身を調整してるって聞いたことありますけど…
銅像対決では長宗我部元親の圧倒的勝利だ!
長宗我部の後に関ヶ原の勝者として土佐に入ってきた山内一豊。
もともとの長宗我部の家臣たちと折が合わずに土佐は殺伐に。
その結果、反抗的な長宗我部武士は粛清し、残った武士も下士と言う身分にしました。
山内一豊の家臣の身分は上士、その確執から幕末まで差別が続いたんでしょうか。
あの龍馬伝やお~い竜馬!みたいに露骨な事が日常的にあったんでしょうかね~?
具体的な記録なんかあれば読んでみたいですが……
■板垣退助の銅像
何故か初代藩主よりも天守寄りにたってる自由の戦士、板垣退助(笑
こっちもポーズが決まっててカッコイイな!
■第二次四国ツーリング その2 [ツーリング]
二日目、今日は高知市内をガッツり観光予定。
今日は夜から天気が崩れるそうな、高知は雨が多いそうなので仕方ないのか。
香川は何故にいつも渇水なのだろう、茹で過ぎ?ウドン。
おお、桂浜。
なんだか薄くてキレイな波だな。
向こうは太平洋、レシプロ機に乗って眺めてみたいもの。
■第二次四国ツーリング その1 [ツーリング]
今年のGWは、なーんにもやる気が起きなかったので地元でウダウダと
してようかと思っておりました。
しかし、やっぱりちょっともったいない(;´Д`)
だもので、ちょっと無理やりキャンプツーリングに出てみました。
目的地は四国の高知。
四国に渡ったのはザンザスに乗っていた時以来。
結構前だな…
初日はちょっと遅めに出発することにした。
全く準備してなかったので、とりあえず初日は移動日に当てることにする。
ETCもまだ付いてないクセに徳島までは高速で向かう。
南海フェリーで行こうとも考えたけど…自走したほうがはやい(ノ´∀`*)
■明石海峡大橋
これを購入したので、走行動画も撮りやすくなった。
でもハンドルバーがちょっと細くて滑り止めも弱いので、ちょっと振動で前に滑るけど…
100均で滑り止めシートを買って対応する予定(笑
■淡路ハイウェイオアシス
明石海峡を見ながらちょっと一服… フゥと思ったけど現在時刻は12時30分。
出発してから、1時間程度しか経ってないので全然疲れてない!
そのまま、写真撮って出発~。
■大鳴門橋
縦になが~い淡路島をスルーっと縦断して渦の道を渡る。
下では見事に海流が渦巻いておる…… 前来た時もウズってたなぁ~。
ここの左側車線は微妙にみんなスピードが遅い、渦見て通る車で遅いのだな(笑
■山口県萩市、明治維新胎動之地 その3 [旅]
毛利家の菩提寺を見学した後は吉田松陰と高杉晋作のお墓へ向かう。
ココはもう山に差し掛かっていて、結構な上り坂があります。
だからなのか、松蔭神社には沢山いた観光客もここまではほとんど登ってきません。
ママチャリではちときつい。
杉家、玉木家、吉田家のお墓が集まっています。
松蔭はもともと杉家で吉田家に養子に出されて名前が吉田寅次郎(松陰)になりました。
高杉晋作のお墓。
墓碑銘は東行(とうぎょう)ってなってます、西行に対向して倒幕(江戸に行く)するために東行にしたとか。
なぜか師匠である吉田松陰よりも一段高い場所にあります(笑