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■天正地震で埋没した城 帰雲城(かえりくもじょう) [ツーリング]

歴史の中で多く登場するお城。
それには面白い逸話やら本当かよ…となる伝説などがあります。

その中でも1585年(本能寺の変の3年後)
天正地震で山が崩れ、土石流が起こり埋没してしまった城があるのです。
マグニチュードは7.8前後だったそう。

Google Mapで上空写真を見てみると450年前の山崩れの跡がはっきりと確認できます。
なんとすごい…そんな伝説のある城跡を見に行きたい。
場所は岐阜の白川郷の少し南側。
微妙に遠い所だったのですが、明け方前に出立し念願を叶えに行きました。


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岐阜の道の駅 パレットピアおおので南高梅入りこんにゃくゼリーを購入
昔、買って帰ったら美味しかったのでリピート、しかしちと重かった。



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高速で岐阜を北上、ひるがの高原SAで休憩。
あ、モネの池なるものに寄って行くのを忘れた…が…まぁいいや(*´Д`)


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バイク乗りの主食を補給。


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高速を降りて少し北上すると…
おお…見えてきた、多分あれだな。

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遠くに崩れている山肌が見える。


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数キロ先に行くと現場の看板が見えてきた。
ストリートビューで何回も見た地だ。


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Google Mapでも見ると相当な崩れ方。
この場所



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天気もいいので理想的なお城日和である…
暑いのは仕方があるまい。

写真のあたりが城と城下町の推定地になります。
あの奥からの土砂がこちらまでを飲み込んで行ったという。

この城は金山開発も携わっていたそうで
その収集していた黄金も一緒に埋まっているのではないか?
ということで黄金伝説のもとにもなっています。


この地震で中部地方は相当な被害がありました。
長浜に居た山内一豊の娘なども亡くなっているという。



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近くて見ると豪快に崩れた山と急斜面、下に落ちた土砂が確認できる。
土砂にはもう山に戻っているが、急斜面には木が生えてこず土色のまま。


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戦国時代はほっそい獣道のような街道が一本あったくらいだったのかな。
昭和初期あたりでも白川郷などは秘境感が高かったそうだからなぁ。


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伝説は残っているが城の確実な場所はまだ特定できていないそうな。
城好きな人達により特定作業が行われているとか。

この埋没でこの領主の内ケ島氏は一夜にしてほぼ滅亡してしまったという。
数人が所要で外に出ていたので助かったのだとか…
供養塔も立っていたので手を追わせておきました。






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ここまで来たなら寄っていきましょう白川郷。
十数年前に一度来たことがあり茅葺きの民宿に泊まりました。
その時よりもなんだかテーマパーク感があるような…
結構広いのでバイクシューズでは歩くのは大変だ。


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五平餅いただきます、ツーリングだとこんな立ち食いばかりである。


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オヤシロさまに挨拶して来ました。
荻町城跡 展望台、ここも城跡の一つ。
当時おそらく、こちらも相当な被害があったでしょう。


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白川郷からちと北の聖地。
まだ健在でありました、なつかしい(笑


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更に北上し五箇山も見ていきましょう。
こちらは初めて訪問しました。

菅沼の合掌造り集落相倉の合掌造り集落

こちらなどは家と家の間で密集感があり、写真も取りやすいのかもしれない。


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秘境感があってすごいな…
本当に昔などはどのように生活していたのか。


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すこし頑張って村を一望できる展望台まで歩いた。
歩く用の靴も持ってきたいけど靴って結構嵩張るんだよなぁ。
しかし、いい雰囲気の風景だ。
余裕のある時に雪の積もった景色を見に来たいなぁ。

この旅で我がz750sは80,000キロを超えてきました。

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